
プリンスを語ろう!
15thアルバム『Come』
“Prince”を葬るアルバム――終わりに見せかけた、始まりの予感

はじめに
1994年。
レコード会社との対立が激化する中、
“Prince”名義で発表されたアルバム――
『Come』。
当時、多くのファンはこう受け止めた。
「これは実質ラストアルバムなのではないか?」
だがいま振り返ると、
この作品は“終わり”というより、
次のキャリアを積み上げるための地ならしだったのではないか。
シオケンといろはが語る。
「当時、終わる気がしました」
いろは:
正直に言うと、
あの頃は“これで終わるのかも”って思いました。
シオケン:
うん、分かる。
雰囲気がね、
すごく静かだった。
いろは:
派手さもなければ、
大ヒット狙いでもない。
シオケン:
自ら“Prince”を終わらせにいってる空気はあった。
でも楽曲に何か変化があったというかPRINCE自身が次のフェーズに入ったような
そんな”予感”みたいなものは感じれたんよねぇ
「Princeという名前を埋葬する」
いろは:
ジャケットもシンプル。
モノクロでどこか“無機質”。
シオケン:
感情を抑えてるよね。
怒りも爆発しない。
いろは:
Black Albumみたいな
露骨な闇でもない。
シオケン:
これは“冷静な終わり”。
いろは:
“Prince”という存在を
一度、完結させる。
シオケン:
そう。先行シングル「Let It Go」を聴いた時、これは葬送曲だなって思った。
■楽曲レビュー
● 「Come」
10分を超える長尺トラック。
淡々としたグルーヴ、抑制されたボーカル。今作に通じて登場する乾いたホーンセクションが
淫美に絡んでくるディープなファンクチューン。
いろは:
情熱がないわけじゃないけど、
燃え上がらない。
シオケン:
熱を外に出さない。
内側で燃やしてる。
これアルバムバージョン聴く前はテレビ「The Beautiful Experience」で流れてたバージョンで
耳馴染みだったのでアルバムバージョンはあれ?って肩透かしにあったのは覚えてる。
● 「Papa」
テーマ的は児童虐待、DVを扱った内省的で重いトラック。
いろは:
かなりパーソナルですよね。
シオケン:
前半パートと後半パートで雰囲気変わるじゃないですか?
それがいいのよねぇ 重苦しい前半を一気に払拭するような後半の「雨の降った後には必ず虹が見える」
実はポジティブな楽曲なんだよねぇ
● 「RACE」
シオケン:
この曲もテレビで先行して流れてたんだけど「RACE=人種」と
テーマは重たいんだけど軽快なファンクのトラックに乗せて語られる
「肌の色を超えて人間として音楽に向き合う」そんなメッセージが熱い1曲。このアルバムの1番好きな曲かも
● 「Letitgo」
アルバムのコンセプトとかを知る前にこの曲が先行シングルで発表された時「終わり」を感じた1曲。
シオケン:
歌い出しからファルセット、地声、低音ボイスと
PRINCEの声の三重奏で飛び込んでくる
そこがなんだか「締めくくり」「エンディング感」を感じさせる要因なんだけど
ビートルズの最後の「LET IT BE」とも類似性を感じて余計「終わり」を感じさせた1曲
④ シオケンの視点|終わりじゃない
いろは:
でも、シオケンさんは
これを“終わり”だとは思ってないですよね?
シオケン:
思ってない。
むしろ逆。
いろは:
逆?
シオケン:
この時期のプリンス、
ひらめきが降りてきてる感じがする。
いろは:
どういう意味ですか?
シオケン:
“Prince”という枠が外れた瞬間、
創造性が軽くなってる。
いろは:
終わらせたことで、
自由になった。
シオケン:
そう。
ここから積み上げる気配がある。
『Come』は派手ではない。
歴史的代表作とも言いにくい。
だがこのアルバムは、
アイデンティティの再定義の直前にある。
- 名前を捨てる準備
- 契約との決別
- 自分自身との再契約
シオケン:
これがなかったら、
“シンボル”の時代は来ない。
シオケン:
『Come』は、
プリンスが自らを葬ったアルバムだ。
でもその墓標の下で、
新しい種が芽吹いてる。
大いなる「NEXT」に向けて放ったクリエイティブな最後の作品集
いろは:
終わりに聴こえた音は、
実は始まりの前奏だった。
次回は、
“Prince”をやめた男が
再び光を放つ
**『The Gold Experience』(1995)**へ。
——続く。


















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