
集中連載「プリンスを語ろう」Vol.08
8thアルバム「Parade」
電子音から距離を取り、“生楽器の温度”で未来を切り開いた静かな革命

はじめに
**シオジリケンジ(通称:シオケン)**と
**音楽ライター・神崎いろは(通称:いろは)**が語る
「プリンスを語ろう!」。
Vol.7『Around the World in a Day』で
プリンスはサイケデリックな内面世界へと舵を切った。
その延長線上にあるのが、1986年の
**『Parade』**だが――
この作品で起きている本当の変化は、
思想でもイメージでもなく、音の質感にある。
① 導入|いろはの気づき
「このアルバム、音が“やけに生々しくないですか?”」
いろは:
『Parade』を改めて聴くと、
それまでのプリンスより
音がやたら“触れる感じ”がしませんか?
シオケン:
するね。
ここでプリンスは、
自身の代名詞でもある電子音、打ち込みサウンドから一歩引いてる。
いろは:
シンセ主体だった80年代前半とは、
明らかに違う質感。
シオケン:
そう。
このアルバムは、
生楽器の鳴りを意識的に前に出した作品なんだ。
「デジタルの時代に、あえてアコースティックへ」
いろは:
80年代半ばって、
デジタル全盛期ですよね。
シオケン:
そう。
DX7、シーケンサー、LinnDrum、打ち込み。
みんな“未来の音”を追いかけてた。
いろは:
その真逆をやってる。
シオケン:
ストリングス、ホーンセクション、ピアノ、
アコースティックギターの音色・・・
いろは:
派手さはないけど、
妙に人間味、色気がある。
シオケン:
それは“人が演奏してる気配”が
ちゃんと残ってるから。

「削ぎ落としが“冷たくない”」
いろは:
『Dirty Mind』もミニマルでしたけど、
あれはもっと無機質でしたよね。
シオケン:
うん。
『Dirty Mind』は思想のための削減。
『Parade』は音色のための削減。
いろは:
なるほど。
シオケン:
音数は少ないけど、
一音一音に表情がある。
だから冷たくならない。
いろは:
静かなのに、緊張感が続く理由ですね。
「“生っぽさ”の価値を思い出させた」
いろは:
この方向性って、
その後の音楽にも影響ありますか?
シオケン:
かなりある。
80年代後半〜90年代にかけて、
打ち込み一辺倒からの揺り戻しが起きる。ジョージマイケルの「FAITH」とかわかりやすいよね
アコースティックのかっこよさというか
いろは:
ネオ・ソウルとか?
シオケン:
そう。
生演奏の質感、
アコースティックな響きを
“かっこいい”と再定義した。
いろは:
派手じゃない革命ですね。
シオケン:
でも長く効く。
『Parade』は
音の肌触りを取り戻したヒューマンなアルバムなんだ。
「スカスカなのに、成立する」
いろは:
その中で「Kiss」は異質ですよね。
シオケン:
あれも実は、
生々しさの極地。
余白、ブレス、
人間のリズム感。
いろは:
デジタルなのに、
アコースティックに感じる。
シオケン:
だからこそ、
あの曲が世界的に通用した。
シオケン:
『Parade』は、
プリンスが
“未来の音”を追うのを一度やめたアルバムだ。
その代わりに選んだのが、
人間の温度だった。
④ 次回予告|いろは(変更なし)
いろは:
次回は、
この内省と自由をすべて引き連れて、
プリンスが“個”として世界を語り切った
**『Sign ☮︎ the Times』(1987)**を振り返ります。
——続く。


















この記事へのコメントはありません。